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スマラン慰安所事件の真実  新刊

BC級戦犯岡田慶治の獄中手記

スマラン慰安所事件の真実

慰安婦問題の「強制性」を考え直す手がかりとなる手記。バダビア軍事裁判で唯一死刑となった岡田慶治は獄中で手記を書き残していた。

著者 田中 秀雄
岡田 慶治
出版年月日 2018/04/09
ISBN 9784829507360
判型・ページ数 4-6・280ページ
定価 本体2,300円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第一章 大東亜解放の聖戦へ(仏印、マレー、ビルマ)
昭和16年12月8日、戦争はハワイ攻撃で始まったが、戦争に必要な膨大な資源があった英領マレー、オランダ領インドネシアを抑えるために南方軍が設立された。応召された岡田は南方軍総司令部のあるサイゴンに向かう。その後、シンガポール、マレーを経由し、ビルマに進軍する。重慶の蔣介石を援助するビルマルートを遮断するためである。ほとんど道もないジャングルや土俗的な暮らしの村々を通過して、シャン高原の中国軍を撃退し、遂に彼の部隊は深い山を越えて中国雲南省に侵攻する。「青壮日記10」
第二章 運命のジャワへ(ジャワ、スマトラ)
太平洋の各戦線は膠着状態が続いていた。日本軍の快進撃は既に止まっていた。岡田はジャワ島に作られた幹部候補生教育隊で下士官の教育に当たっていた。その後、パレンバン(スマトラ)の臨時施設隊勤務となり、強引なまでの指導力を発揮して、パレンバンの防空設備を完成に導く。「青壮日記11」
第三章 ボルネオの苦闘(ボルネオの巻)
既にサイパンは攻略され、レイテ沖海戦も連合軍の勝利に終わり、日本の敗戦が濃厚になっていた時期にボルネオに転任した岡田の部隊は転進兵たちの救援を行なう任務を命ぜられる。飢餓と病気で多くの日本兵が亡くなったが、現地民と親しくしていた岡田部隊の作った転進路ではこれが全くなかった。「青壮日記12」
第四章 バタビア報復裁判に戦う(復員、再起、戦犯行)
復員した岡田はしばらく身体を休めた後、海産物商店の店開きから再起する。その商店経営の才能はずば抜けたものであった。そしてこれを全国展開する野望を秘めて行動しているときに、突然巣鴨に召喚される……。「青壮日記13」
【解説】フェミニスト岡田慶治   田中 秀雄
未だ終わらないスマラン事件/岡田慶治は強姦したのか?/スケープゴートにされた岡田慶治/強制性の問題/岡田慶治の立派さ
岡田慶治の遺書

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内容説明

慰安婦問題の「強制性」を考え直す手がかりとなる手記。

 

 

 バダビア軍事裁判で唯一死刑となった岡田慶治は、獄中で手記を書き残していた(「青春日記」「青壮日記」)

英米との戦争が始まった昭和17年以降の分を活字化。
 

★スマラン慰安所事件とは

1944年、日本軍占領中のオランダ領東インド(現インドネシア)でオランダ人女性35人をジャワ島スマランの慰安所に強制連行し強制売春、強姦したとされる事件。戦後1948年のバタビア軍事裁判においてBC級戦犯11人が有罪となり、責任者の岡田慶治少佐が銃殺刑に処せられた。

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